2017年03月17日

浜松オートは非開催日です.. 〜谷口選手よ、永遠に〜


3/17(金)の浜松オートは非開催日。明日より山陽オートにて開催する
「特別GI 共同通信社杯プレミアムカップ」の場外発売実施を前に、
場内各所の清掃や点検、メンテナンス作業が行なわれております。

ぽかぽかと暖かく、中庭では草木が芽吹き、新たな開花の時を待つ浜松走路。
青空の広がるお昼前の11時ころ、レーシングスタッフより
「ブンブン君、今、谷口武彦選手がロッカーの片付け作業で管理地区にいらしていて、
最後の挨拶がしたいとのことです」と、私宛てに内線が入りました。


私はプレゼントとして谷口選手のラストレースを終えた後に撮影しました、
ご家族&ご親族との記念写真を用意。谷口選手へ直接手渡すことができました。

「ありがとう!良い写真だね。何かお礼を返さなきゃ・・」という谷口選手へ、私はひらめき、
「でしたら競走路・大時計をバックに、今一度”記念写真”を撮らせてください!」とお願いしました。
お安い御用です、と、谷口選手はこころよく引き受けてくださいました。
その撮影写真が最上段の画像です。

「ブンブン君から受ける取材は、これが最後になるんじゃないかなぁ(笑)」

誰もいない競走路へ深々と一礼した谷口選手は、そう言って微笑みました。

私はさみしい気持ちになりましたが・・谷口選手の現役時代、毎節のように
マイクやカメラを持ってやってきたNHKさんや雑誌社さん、JKAさんなどの取材陣は
ロッカーにはもういません。私がラストの谷口選手情報を伝えられることに、
何だかエクストラな気持ちになりました。


「これが家へ持ち帰る、最後の持ち物です」と、谷口選手が紹介してくださったのが
当時、進駐軍が使用していたという”道具箱”です。
モノが不足していた戦後当時、使える物は何でも使えと、進駐軍が日本に残していった
道具箱を、誰もがこぞって仕事や家庭の中で愛用していたそうです。
谷口選手:「僕の他にも、同期や期前(走路が舗装される前、ダート時代)の選手はけっこう
使っていた気がします。僕のこの箱には”佐久間”って書いてあるから、おそらく僕が使う前から
先輩の選手が使っていて、それが流れて譲り受けたのだと思います。」


谷口選手は道具箱のロックを開けて内部まで見せてくださいました。
まるで嫁入りの「化粧箱」や紙芝居の「遊戯箱」を思わせます。

きっとこれまでに歴代の競走車を組み上げてきた、数々の工具でびっしりと埋まっていたのでしょう。
戦後の復興時代、大きな夢の詰まっていた道具箱。今は役目を果たし空っぽとなっておりました。

谷口選手:「今は何も入っちゃぁいないけど…当時はこれを担いで、飯塚や船橋へ
走りに行ったもんですよ。防具は、、といっても皮ズボンとかヘルメット、ゴーグルくらいしか
なかったね。上半身は厚着を着重ねる程度で、今のような頑丈なプロテクターなんてなかったから、
レースのたびに炭ガラ(ダート走路の路面に敷かれていた、石炭のもえかす)がビシビシと体に
当たってきて、身体にはいつも真っ赤なアザが残っていました。ダート時代は競走路の長さも
レース場によって違い、確か船橋や川口は800m、飯塚は600mでした。
オートレース人生の相棒だったこの道具箱を、思い出として持ち帰ります。」


「長い間、お世話になりました」と、道具箱を軽トラックへ詰めこむ谷口選手へ
私は最後のお願いをしました。

「谷口選手、いつか浜松オートの”ファン感謝祭”や”ゴールデンレース”にて
ゲストでお越しください!今日お話ししてくださったようなオートレースの思い出話を、
お客さまへ聞かせてあげてください!浜松オートファンの皆さまは谷口選手を待っています。」

ははは、いつか、またね。ありがとう。
そう言って管理地区をあとにした谷口選手でした。私は見えなくなるまで手を振りました。
きっと再び、浜松オートのOB・レジェンドとして皆さまの前に立ってくれる、そんな気がします。



”無事、これ名馬”、浜松ライダー・谷口武彦選手よ、永遠に・・・!
今までありがとうございました!

〜国内全公営競技中・最年長1着勝利記録達成:谷口武彦選手(第4期・浜松所属)〜
 記録:73歳280日 平成27年9月4日 於 浜松オートレース場 第4レース



 おしまい


posted by ブンブンボーイ at 17:14| ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする